2008年1月18日金曜日

灰の水曜日ミサ のお知らせ (終了)

 
 今年の灰の水曜日は2月6日(水)です。去年よりも二週間ばかり早くなりますが、春の訪れの方はどうでしょうか。                            
 毎年灰の水曜日にはARGE AAGによるミサが捧げられます。先日私たちの共同体をご訪問下さいましたシャール補佐司教は、ウィーン大司教区における外国語共同体の司牧を担当しておられますが、ARGE AAG(アフリカ・アジア地域の共同体)はその中に位置付けられています。日本の共同体もここに所属しています。
 日本人共同体もARGE AAGによるミサに参列し
、「平和の讃歌」を担当します。皆様を心よりお誘いいたします。この四旬節の始まりの日、大斎・小斎の断食の日を共にすることは、信仰共同体にとり、血肉となる経験ではないでしょうか。 なお、パウロ三木をはじめとする日本26聖人霊名日は、日本では今年の灰の水曜日の前日5日、オーストリアでは当日の6日となっていますが、私たちはその記念の意向も携えて、ミサに参列いたします。

 ARGE AAGによる灰の水曜日のミサ


場所:ラインツ教会(Pfarre Lainz-Speising /Kardinal-König-Platz 2
1130Wien )
時間:18時30分より
朗読:・ヨエ2, 12-18 ・2コリ
5, 20 - 6, 2 EV・マタ6, 1-6.16-18
   ラインツ教会へは、地下鉄U4 Hietzing 駅から、市電の60番に乗り、
     Jagdschlossgasse/Kardinal-König-Platz にて下車します。
        停車場すぐ奥の、近代的な建物が教会です。

 

2008年1月13日日曜日

降誕節最後の主日「主の洗礼」ミサ

 
 1月13日(日)、イエズス会教会小聖堂にて、「主の洗礼」の記念を、アルムブルスター神父様司式の日本語ミサでお祝いしました。シャール補佐司教様をお迎えしてのミサで、40名近くの方がご参列くださり、聖堂は共に主に向かう喜びで満たされました。初めての方も5名いらっしゃいました。
 シャール司教様は、ドイツ語を母国語としないカトリック信者の司牧を担われていて、日本人の共同体にとっても「異邦の者ではありません」と、ご自身をご紹介くださいました。シェーンボルン大司教枢機卿からのご挨拶もお伝えいただき、ウィーンにおける私たち日本人の信徒共同体が、教区の教導・司牧者に支えられ一致してここにある、という気持ちと喜びとを新たにすることができました。
 









 




 ミサ後は恒例のカフェでの親睦の時を持ちました。司教様もおいで下さり、大変な賑わいでした。

2008年1月12日土曜日

講話会 「主の洗礼」について

 
 1月12日(土)、アルムブルスター師による講話会が、イエズス会教会小聖堂において催されました。概略をお伝えします。
 翌日の典礼で祝われる「主の洗礼」について、教皇様の新著『ナザレのイエズス』を典拠にお話しいただきました。福音箇所はマタイ3章13〜17節です。「主の洗礼」の出来事はすべての福音書記者によっていろいろな仕方で語られています。この「主の洗礼」を教会は復活祭に次いで古くから祝ってきました。
 洗礼の水は、死と、生命とを表します。水は荒々しくすべてを飲み込む、破壊的な力、死を表す反面、生命に無くてはならないものでもあります。また清める力です。洗礼の水に沈み、罪に死に、古い自分に死んだ私たちは、罪を赦されて、全く新しい命をいただきました。洗礼盤は教会の胎なのです。神父様のお話は、水の表象に関しての歴史的・文化的な考察から始まり、洗礼者ヨハネの現れた背景、時代状況を展望しました。この広い視野の中に、「主の洗礼」の本題が輝き出ます。
 罪の無いイエズスが、なぜ洗礼者ヨハネから罪の赦しの洗礼をお受けになったのか。躊躇するヨハネに、イエズスは答えます。「今は、止めないでほしい。正しいことをすべて行うのは、我々にふさわしいことです。」 この「今」は何か決定的な時でした。実際、イエズスはこの時から公のご生活をおはじめになり、それはゴルゴダでの御受難まで、徹底的にご自身を捧げ尽くすことの始まりでした。実にイエズスはすべての人の為に洗礼をお受けになり、すべての人の罪を背負われたのです。「主の洗礼」は、十字架上での血の洗礼の先取りでした。
 イエズスが洗礼をお受けになると、天が開かれました。イエズスこそ、そしてその生涯こそ、神と人間を再び結びつけ、神を私たちにお示しくださるのです。至聖なる三位一体の神の神秘が、はじめて現されたのも、この「主の洗礼」の出来事でした。
 しかし、福音箇所を注意深く読むと、天は「イエズスに向かって」開かれました。聖霊が鳩のようにイエズスに降ってくるのを、イエズスだけが「御覧に」なりました。イエズスが大勢の人々の中で受洗されたとき、周りの人々はその意味を悟りませんでした。イエズスの生涯を通してその神秘は明かされます。また歴史の歩みの中で、教会はその意味を深く知るようになりました。同じように、私たちは自分が洗礼を受けたときに始まった、その命に、時間をかけながら気付かされます。
 私たちはいつでも自分の洗礼の恵みに立ち返って、新しい命に生き始めることができます。私たちは、私たちが受けた洗礼によって、ヨルダン川で洗礼をお受けになる主の傍らに立つ者となりました。主イエズスに倣う者となりました。イエズスが開いた天への道を、洗礼の恵みを通して、日々その命に生かされて、イエズスを仰ぎ見ながら、私たちは歩みます。
 

2008年1月6日日曜日

Erscheinung des Herrn


 降誕節もなかばを過ぎました。今日祝われた主の公現、公現祭は、東方教会では御降誕から主の洗礼までを含めた祝日となっているそうです。この降誕節の締めくくりに、アルムブルスター神父様をお迎えして、共に主の洗礼をお祝いできますことは、新年にあたって、私たち共同体の大きな喜びです。昨年の最終年間主日の典礼を共にお捧げしてから、日本語の共同体としてミサに集うのは2ヶ月ぶりになりますが、新しい年を主にあって共に歩む、よい出立に恵まれました。
 昨日、典礼準備の集いも無事に終わりました。講話会と御ミサの当日、たくさんの方がつつがなく来られますように! (右写真:典礼準備の集い)

2008年1月1日火曜日