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「イエズスは悪魔から誘惑を受けるため、 “霊”に導かれて荒れ野に行かれた」
次回の聖書会は、2月9日土曜日、午後三時から。共に読みます聖書箇所は、翌日日曜日の典礼「四旬節第1主日」の福音朗読、マタイ4章1−11節です。イエズスの荒れ野での断食と、悪魔の誘惑の記事で、四旬節全体を貫くテーマに出会う箇所です。皆様どうぞご参加ください。アルムブルスター師の次回講話会もこの記事をテーマに予定されています。
2008年2月5日火曜日
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「イエスは悪魔から誘惑を受けるため、霊に導かれて荒れ野に行かれた(ルカ4.1~)」とあるのは、偶然ではない神の意志と考えられます。
しかしこのご計画は、ベネディクト教皇様が『ナザレのイエズス』に書いておられる通り、私達のために人間の試練を徹底的に受けられたイエズス様の姿であり、つまりは救いのご計画であるといえるでしょう。
最初から「悪魔」とは書かれておらず、「誘惑するもの」とあります。私はそれがこわいなと思いました。この「誘惑するもの」は巧みにも神様も言葉を使って誘惑してくるからです。しかも「神の子なら~してみろ」と。これは十字架上でもテーマでもありますが、証明したい(出来るのだから)という自己愛にそそのかされがちな人間の姿を暗示しているようで、はっとさせられます。
イエズス様はそこでまた神様の言葉によってそれを退けられた。聖書の権威をもって有無を言わせないその姿勢によって、私達を確かに神様に向かわせて下さいます。
パンのみにて生きるのではない好例として、コルベ神父のことなども分かち合いながら、
Mさんが焼いてお持ち下さった美味しいケーキを頂きました。
お陰様で四旬節の心構えを新たにすることが出来ました。次回23日も楽しみにお伺い致しますので、どうぞよろしくお願い申し上げます。
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